カテゴリ:風化風葬( 6 )
ED75という文字が消えた日
2012年3月17日。ついに運用表から"ED75"という文字が消えた。
毎年のように言われ続けてきた赤ベコの引退が、いよいよ現実のものとなった。
覚悟をしていたとはいえ、その事実を受け止められないのは私だけではないと思う。

地方の電化を交流電化で推し進めることになった国鉄が、昭和38年に交流電機の標準型として世に送り出したED75。
最若番の113号機に至っては、今年で45歳を迎えることになる。
人間ならば働き盛りの頃ではあるが、物流を支える現役の鉄道車両としては歳を取り過ぎた感が否めない。

それでも今日まで走り続けられたのは、その基本性能と信頼性、および突発的な需要と供給のバランスが、相互にうまく成り立っていたからだと思う。

今になって、あの震災が本当に憎い。
常磐線が、そして福島県が津波であんなことにならなければ。
でも、今更そんなことを言ったって意味が無い。
そして、もっと大切なものを無くした方々のほうが圧倒的に多いのだから。

同じ日に華々しく終焉を飾った新幹線や日本海などと比べ、ED75は最後まで地味に、ひっそりと終わったと感じた。それぐらいがちょうどいい。
駅のホームで恥ずかしげも無く、大きな声で「ありがとう~!!」なんて叫んでいる人を見ると、本当に惜しんで言っているのかと疑いたくなる。

ED75という機関車を通じて、色々な場所で沢山の良い人たちにも出会うことができた。
お互いに参考にしたり、中にはED75とは関係ないプライベートでもお世話になった方も。
すべてが良い想い出。

これからの行く末は分からないけど、冷静に見届けることだけが、本当のファンにできることなんだと思う。

心の中で静かに「本当に今までお疲れ様」と囁き、今夜は寝ることにします。
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by ed75_gossy | 2012-03-18 00:39 | 風化風葬
1039
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1039号機。このカマほど赤ベコの中で波乱万丈の人生を歩んだカマはいないでしょう。
青森生え抜きのこのカマは、ED75のラストナンバーとしてもてはやされ、国鉄時代~JR初期までは、ゆうづるの先頭に立つことも多かったと思います。
しかし、時代の流れとともに客車列車は衰退し、旅客会社ではもはや仕事も持たずに、貨物の委託運用をこなす程度。
そんな折、貨物会社に再就職が決まったかと思いきや、大規模な故障を患ってしまい、長い間の休眠。
復活しても、小さな故障を起こしては休車~復活を繰り返し、なかなか検修泣かせのカマだったことでしょう。
そして全検を受けても、機関区の方々の手によって、それまでのスタイルを大きく変えることなく、出来るだけオリジナルに近い状態を保っていたのは、それだけ現場でも愛されていたという証なのかもしれません。

あの日。定時であれば相馬辺りだったはずが、奇しくも下り列車の遅れで海沿いで足止めを食らってしまい、大津波に巻き込まれてしまったのです。
あの遅れさえなければ。92レに入らなければ。不謹慎ながらも、そんなことを考えた自分がいました。

今でもポツンと現地に取り残されている1039。残念ながら明るい未来ではなく、厳しい現実が待っていると聞きました。
色々なブログで現地の1039を目にすることがあり、その都度悲しくなってしまいます。

一度は現地に行こうとも思いましたが、それは止めました。
行って何をするのか。写真をバシャバシャ撮って、触れて、「あー残念だね。まだ動けそうなのに。」なんて呟いてみたり。

そんなことするために、あの場所へはどうしても立ち入れない気がして。

現地への立ち入りについては賛否両論はあるでしょう。

私は今後の行く末を静かに見守り、いま残りわずかな仕事をこなしている赤ベコを、いつも通りに撮り続けていきたいと思います。

取りとめもないことを書き続けてしまいました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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by ed75_gossy | 2011-11-07 01:13 | 風化風葬
風化風葬 4
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今年は春の気温が安定せず、いまだに仙台以北では満開に至っていない。
この年でここを通る赤ベコ貨物の定期運用はラストとなってしまった。
翌年は日曜日限定で赤ベコの重連運用が組まれたが、元来人ごみが嫌いであり、誰に聞いても他の撮影者とトラブルが起きる、
この時期のここには当然足が向くはずもなく、この構図で撮ったのはこの一枚が最初で最後だった。
ここも今頃は満開に近いのだろうが、カシオペアや北斗星、583系が通ろうとも、赤ベコが来ないのだから、ひねくれ者の私は行かないだろうな。

1023号機。2エンドの貫通扉から屋根に上るための手摺が取れてしまい、おでこに絆創膏を貼られていたカマ。
白更新の中では比較的晩年まで残ったカマだったが、全検に入ることなく郡山で解体されてしまった。
誰もが足を止めて見る一目千本桜が満開の中、ゆっくり眺めている暇もなく、颯爽と過ぎ去っていった。
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by ed75_gossy | 2010-04-22 08:44 | 風化風葬
風化風葬 3
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週末にかけて離脱したカマの郡山回送が連続で行われた。
検査期限が残っていたと思われた1027号機も、残念ながら回送されてしまったようだ。
私が75撮影を再開した2005年に新更新となって出場したカマだったが、
1016や1008よりも先に離脱してしまったので、意外といえば意外だった。

今言える事は、ただ「おつかれさま」だけだ。
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by ed75_gossy | 2010-04-06 00:50 | 風化風葬
風化風葬 2
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悲しいことに、今度は1006号機が本日の858レにて郡山へ回送されたとのこと。
先月31日に2082レを茨田踏切で撮影したが、これがまさか1006号機のラストランだとは思わなかった。

でも最期はやっぱりナナゴーらしい引退だったと思う。
特に花形の運用に就くでもなく、地味にいつもの運用をこなしていくのがナナゴーの通例。

残念だけどこれが現実。ただ後悔はしていない。
だって君の勇姿はたくさんカメラに収めることができたから。

また、ひとつの時代が静かに終わった・・・
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by ed75_gossy | 2010-04-04 01:32 | 風化風葬
風化風葬 1
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3月31日、昨年から一休車扱いになっていた1021号機が、廃車のため郡山へ回送された。
私は以前から75の廃車回送の撮影には行かないようにしている。
決して綺麗事ではなく、ただ単に見送るのが辛いから。
すべてのカマに思いいれがあるわけではないが、帰らぬ旅と分かっていると辛いものだ。

大好きなアーティストの、ある一曲の曲名をタイトルにしました。
風葬とは、亡くなった者の遺体を火葬や土葬にするのではなく、風通しのいい場所に安置して風化させるという葬制です。

管理人の気まぐれで、過去帳入りとなってしまった機関車達を紹介していこうと思います。
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by ed75_gossy | 2010-04-02 10:50 | 風化風葬